実は今月こういう話が3件。
まったくもってやりきれない気分です。
こんばんは、クルセイドです。
先日聞いた講演で、 「命が粗末にされる状況になれば、自殺は減る」 という内容を聞いたのを思い出しました。
日本で鶏インフルエンザ事件が起こったとき その経営者が自殺したのはまさに、『報道のチカラ』によって・・
なされたような気もする。
報道の人々は 誰もそのことの責任は存在しないかのようだった。
1家6人死傷 つい最近も 足立区で父親が家族を殺害して自殺するという事件 があったばかり。
今度は文京区 殺人と犯人の自殺(あるいは自殺未遂)ではなく「心中」って・・
強姦=婦女暴行 強制わいせつ=いたずら 売春=援助交際 などなど残りの人達の安否は北朝鮮側が発表した事故死、自殺等の不可解な死ばかり。
こんな嘘を重ねる国やからこそ、拉致被害者の家族の方々は自分達の家族が生存してるって確信出来るんでしょうね。
でも、自殺しようとかそういうことは考えた事がないので、あれはきっと僕なりに「死」というものを考えた時期だったのだろうと思っています。
よく、「自分はなにものでどこから来てどこへいくのか?」なんてこと言うじゃないですか。
[1861年2月13日生] 1941年 ヴァージニア・ウルフ (英:小説家『ダロウェイ夫人』) Adeline Virginia Woolf 入水自殺 [1882年1月25日生] Wikipedia - ヴァージニア・ウルフ 1943年 セルゲイ・ラフマニノフ (露:作曲家,ピアニスト) Sergei。

